人に”聞く”と答えてくれるかは自分次第なのかもしれない。

解らないことかあった時。

皆様はどうしますか?

真っ先に聞いてみる。

これは正しいようで間違いと感じます。

理由は解らなかったことを考えていない。

脳を動かしていないんです。

そんな状態で答えを聞いても身にならないし、ましてやそんな状態で教えたくもない。

問われる人間は少なからず時間を使い、脳を使い、経験を積み、ある答えを出したのだから…

たとえ、答えを教えたとしても両者の『答え』の重みが変わってくる。

「あー、、何も考えてないなぁ」

と、感じた瞬間には冷たいようですが目線をそらします。

共有ができないと思ってしまいます。

しかし、室橋にも…

室橋も経験があり反省しています。

仕事の分野が違う知人に

「あれはどうするの?」

「これはどうしたらいいの?」

と、無知な室橋を恥ずかしさのカケラも無く聞いていました。

すると、

「幼稚園児じゃないんだから自分で調べろよ」

と、一言。

間違いないなと思いました。

知らない事は恥ずかしいと、思っていなかったんです。

まず、解らなかったら調べる。

今や、調べて出ない情報なんてないですからね…

そして、考える。

その為の脳です。

それでも、解決できない事にやっと『聞ける』というスタンスができるのではないでしょうか?

両者の共有から進化の可能性へ。

先程言った、『答え』の重みが少し近づく気がしませんか?

それでこそ両者がその事について共有ができてくるんです。

その後の会話に盛り上がりができ共有できた『答え』にアイデアが加わり新しい『答え』と進化するかもしれません。

『解らない』という事の可能性を感じずにはいられない。

人生ってその積み重ねかも。

“できなかった”、”知らなかった”“できる”、”知っている”になっていく。

『聞く』という行為そのものに思考と行動を加えれば『人との共有』がうまれ、知恵と経験を加えられる。

人生ってその積み重ねじゃん。

解らない事だらけでいいんです。その解らない事をどうやって身にしていくかなんです。

人生に常々、知恵と経験を積み重ねるため“聞く”を正確に“できる”に変換しましょう。

 

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